■明石家さんまはゴルフより女

 創刊30周年特大号だった87年5月11日号では表紙モデルを明石家さんまが務めた。本誌の61年の歴史で、男性タレントが表紙を飾った唯一の例である。表紙のほかに、密着レポート記事もあった。「さんまさんは還暦を過ぎた今もモテますが、87年といえば、まだ30代前半。大竹しのぶさんと結婚する前で、モテてモテて仕方なかった頃ですね」(放送作家)

 その頃のさんまは、オンナのみならず、ゴルフに凝り出していた。「いやァ、ゴルフおもろいですわ。でも、ゴルフとオンナ、どっちがおもろいいうたら、まちがいなくオンナですわ。分かってたら比べるなっちゅ〜に!」

 また、いくら働いても、税金をガッポリ取られると、冗談交りにため息をつく。「働くのやめよ。損や」

 だが、すぐに180度反対のことも言う。「まあ、考えてみれば、たくさん金もろてどないすんねん、と思うこともあるなあ。金いらんから、一生、テレビに出してほしいわ。それも、やってて気持ちのいい番組だけ」 今も昔も変わらない笑いの天才であった。

■長嶋茂雄は二枚目

 “ミスタープロ野球”長嶋茂雄は、プロ入り7年目、64年1月9・16日合併号で、インタビューに応えている。当時はまだ、ミスターの愛すべき天然キャラクターは人々に認知されていなかったが、そのコメントから、それらしい部分は見え隠れしている。「人のいない国には何かモノスゴク魅力を感じますね。人に会うのが、いつの間にか生活になってしまっているからかな」

 人のいない国……。ミスターの脳内にだけ存在する夢の楽園なのだろう。また、“俳優でいう二枚目と三枚目の、どちらかか?”を問われると……。「二枚目ですよ。だいたい、すぐに忘れちまうし、オッチョコチョイだし。絶対に二枚目だなあ」

 明らかに、意味を正反対に理解していた、我らがミスターなのである。

 国民的英雄・力道山は、63年10月17日号に見参。当時、38歳の力道山は、4か月前に日航の客室乗務員だった17歳下の女性と結婚したばかり。“来年3月に子どもが生まれる”との一部メディアの報道を笑いながら否定した。「往生したぜ。(中略)もし、本当に子どもが生まれるんだったら、“これはオレの子じゃないぞ”と女房に言ったんだ。“わたしもそう思う”だってさ」

 思い当たる行為はないと断言。では、最初にしたのは?「はっきりした記憶はないが、新婚旅行中だよ」

 “婚前交渉しない派”の力道山はこの年、翌年に迫る東京五輪のために1000万円の寄付をしている。「苦労してかき集めた。足りない分は借金してまわったし」

 だが、この記事の約2か月後に赤坂のクラブで刺され、7日後に死亡。終戦後の日本を勇気づけたスーパースターは、復興の象徴的なビッグイベントを見ることができなかった。

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