■60年代末期〈グループサウンズの時代〉

東宝アイドル女優、元祖グループアイドルがGS系ミュージシャンを選択

 60年代の終わりのごく短期間に大爆発したグループサウンズブームは、日本における最初のバンドブームといえる。ブーム自体は短いものだったが、そこから、その後の芸能界、音楽界で活躍する多くの人材を輩出している。そして、その中には“アイドルとの結婚”を果たした面々がいる。

70年▶喜多嶋修(ザ・ランチャーズ)&内藤洋子
70年▶三原綱木(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)&田代みどり〈*〉
71年▶井上順(元ザ・スパイダース)&青木エミ〈*〉
75年▶沢田研二(元ザ・タイガース)&伊藤エミ(ザ・ピーナッツ)〈*〉
89年▶沢田研二(元ザ・タイガース)&田中裕子

 喜多嶋修が属していたザ・ランチャーズは、慶応ボーイである加山雄三の弟分バンドで、全員が慶應義塾大学在学中という経歴がウリだった。結婚したのはまだ22歳のとき。相手は当時20歳だった東宝のアイドル女優・内藤洋子だ。

 彼女はこの結婚を期に芸能界を離れている。今でいえば、映画『君の膵臓をたべたい』の浜辺美波(東宝芸能所属)が若いミュージシャンと結婚して引退してしまうようなものである。ちなみに、喜多嶋と内藤の娘は、80年代にアイドルデビューし、2010年代にいろいろありすぎて芸能界を去った喜多嶋舞である。

 井上順が結婚した青木エミというのは資生堂の広告に出ていたモデルで、三原綱木の相手である田代みどりは人気歌手だ。

 ザ・ターガースは、GSブームのトップランナーであり、沢田研二はその顔であることはよく知られている。一方、59年に10代でデビューしたザ・ピーナッツは、商業的に成功した最初の女性グループアイドルである。しかも、今日のアイドルのように長期間第一線で活動を続けた。結婚したのは75年に引退後のことで、伊藤はすでに34歳。

 一方、すでにバンドを解散し沢田はソロ活動を始めていた頃。そのため、「現役トップアイドルと超人気ミュージシャンと入籍!」というニュアンスではなかったことを確認しておきたい。なお、沢田はのちに女優の田中裕子と交際が発覚し、87年に伊藤と離婚しているが、その際は18億円もの慰謝料を支払ったといわれている。やはり、桁違いのビッグカップルだったのである。

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