■西武黄金時代を築いた森祇晶

 同じく捕手出身で、野村監督の好敵手とされたのが、西武黄金時代を築いた森祇晶監督だ。「西武で9年間(86〜02年)監督を務め、リーグ優勝8回、日本一6回。これは巨人のV9に次ぐ大記録ですよ。ただ、森さんの野球はリードしていてもバントで1点を取りにいく“守りの野球”でしたね」(パ・リーグの古参スコアラー)

 そんな石橋を叩いて渡るタイプの森監督が、珍しく“冒険”したのがルーキー・清原和博の処遇だった。「コーチ陣は、1年目は二軍でじっくり育てるべきだと主張しましたが、森さんは“あれだけのスターだから大丈夫だ”と、1年目から清原をスタメンで使い続けたんです」(前同)

 その眼力は確かで、清原は高卒新人にして打率.304、31本塁打を放つ大活躍を見せ、球界を代表するスラッガーへと成長した。「もう一人、伊東勤にも目をかけていましたね。伊東が入団したとき、森さんはバッテリーコーチでした。当時の西武は選手層が厚く、高卒の伊東がつけ入る隙などなかった。ですが、森さんは広岡達朗監督に“絶対にあいつを使うべき”と進言し、試合に出して経験を積ませたんです」(同)

 その伊東は、森監督の下、西武黄金期を支える名捕手となった。

 野村監督と森監督――球界を代表する名将2人は、92、93年と2年連続で日本シリーズで激突している。「92年のシリーズは森西武の勝利。93年は野村ヤクルトが勝利しています。両年とも、第7戦までもつれ込む接戦。ファンから史上最高のシリーズと言われていますね」(専門誌記者)

 野村監督はシリーズ前から、「4連勝で勝つ」など挑発を繰り返したが、対する森監督は沈黙を貫いた。「動の野村と静の森。結局、痛み分けに終わったところも感動的」(前同)

 森監督は後年、「挑発に乗って動いたら、ノムさんの術中にハマっていた」と述懐している。

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