■長嶋茂雄と王貞治も名将

 野村監督が現役時代に追い求めたのが、“巨人の二枚看板”長嶋茂雄王貞治だったが、それは監督になってからも同じだった。「ノムさんは長嶋監督の采配を“カンピュータ”と揶揄して挑発しましたが、長嶋監督は意外やデータを気にするタイプの人でした」(長嶋氏に近い人物)

 そんなミスターの球史に残る名采配は、自ら「国民的行事」と呼んだ94年の10・8決戦。巨人と中日が同率で並び、勝ったほうがリーグ優勝という世紀の一戦だった。あの日、ミスターはミーティングで、こんな話をしたという。「ここは尾張名古屋。織田信長は、2千の兵で2万の今川義元の軍に勝った……。今日は勝つぞ!」

 マスコミの下馬評はホームの中日有利。ミスターは、臆すなと喝を入れたわけだ。「采配もさえていました。先発の槙原寛己の調子がよくないと見るや、2回にすぐ途中交代。以後、斎藤雅樹、桑田真澄と“三本柱”を投入して、競り勝ったわけです」(当時を知る記者)

 ミスターはあの日、勝つべくして勝ったのだ。

 王監督も名将の誉れ高い。その采配が奇跡を生んだのが、2006年のWBC第1回大会だった。「2次リーグ最終戦で韓国に敗れ、優勝が絶望的となったんですが、予定通り王監督はミーティングをやると言ったんです。選手はもちろん、コーチも“何を今さら”と思いましたが、その夜、アメリカがメキシコに敗れる番狂わせが起きて、日本は準決勝に進むことができたんです。再び韓国と対峙した日本は、ミーティング効果で6対0で快勝。決勝でキューバを破り、見事世界一に輝きました」(通信社記者)

 真面目一徹の王監督が奇跡を呼び込んだのだ。

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