■ボクサーならではのキックボクサー噺

多くの団体を渡り歩いたことから、「野良犬」と呼ばれるように
多くの団体を渡り歩いたことから、「野良犬」と呼ばれるように

 いくつか古典落語の稽古をつけた。お稽古となると必要な会話だけ。お稽古に来る、そして帰ってゆくという関係。

 僕が格闘技好きということも言わないようにした。「君、何やってた人なの?」くらいの顔をしていた。

 彼は、お稽古の一方でキックボクシングの興行など格闘技関係の仕事も忙しそうだったが、落語はなかなかやる場所はない。

 そんな時、彼が主催する後輩格闘家の激励会の際、いい雰囲気で一同が陽気で盛り上がっていたので、ここだ!と思ったらしく、そこで一席やったと聞いた。

「どうだった?」と尋ねると、目をキラキラさせ「シーンとしてました!」。心は折れてない。

 よく考えてみると、彼は決して古典落語をやりたいわけではない。ひとりで座布団の上から何か伝えたいことがあるだけなのでは。ひとつ提案してみた。登場人物をキックボクサーにしてみたらどう?と。

「はい!いいですねぇ」となった。この言葉はちゃんと届いていたようだ。

 それからはキックボクサーが必ず出てくる語り手「小林家」が誕生した。粗忽者が出てくるナンセンス落語「粗忽長屋」ではなく「粗忽ジム」。あくびを教える「あくび指南」ではなく「フェイント指南」。「寿限無」でなく「ゲノム」。八百長相撲を描いた古典落語「花筏」にいたってはムエタイ選手と八百長試合をすることになる「パナイッカダー」。など11席キックボクサー噺を手掛けている。

 とはいえ主に創作するのは僕である。大変だが面白いからいい。

 彼はいつの間にか浅草東洋館にてプロの合間に混ざって出演している。彼の凄いのは、元キックボクシングの王者が今度落語やりますという会を開催するのではなく、やるんだったらオープニングファイトから闘いたいというところだ。

 実はまだそんなに上手くはないのだが、熱量があり、折れない、諦めない。

 ある時本番終わりで電話がかかってきたので「どうだった?」と聞くと「いやぁすごいウケました」。

「よかったね」と伝えると「それが、どうして笑ってるのかわからないんです」。どこまでもこっちが見習いたい気持ちにもなる。

 この10年間諦めることなくきちんと定期的にやってくる。それもこっちのスケジュールはあまり気にしない。そして、必ずペットボトルのお茶を1本持参して僕に手渡す。いつの間にか彼が作ったルール。それでいい。

 そして「ほんとに落語やっている時幸せなんです」のたまう。いやぁ気持がいい。

 次回後編、彼の野良犬道場にて道場寄席を開催。コロナ対策とこれから。

※後編はこちらから

 

(文=林家彦いち)

小林 聡
小林 聡

小林 聡(こばやし さとし)

1972年3月16日、長野県長野市出身。91年、全日本キックボクシング連盟・後楽園ホール大会で公式プロデビュー。以降、2007年まで様々な団体を渡り歩きながら、国内外の多くのベルトを腰に巻く。通算戦績は69戦46勝(34KO)21敗2分。引退後は、後進の指導や格闘技イベントを立ち上げる一方で、映画に出演するなど、活動の幅を広げている。

Twitterアカウント:@norainudojo

林家彦いち(はやしや ひこいち)

1969年7月3日生まれ。鹿児島県出身。落語家。大学を中退し、林家木久扇(初代木久蔵)門下へ入門。前座名を“きく兵衛”とし、初高座は90年で演目は「寿限無」。93年に二ツ目に昇進し、現在の“彦いち”へ改名。2002年に真打昇進。現在までに数々の賞を受賞し、新作の落語も数多く手がける。SWA(創作話芸アソシエーション)のメンバーとして、落語以外の活動も盛んにおこなっている。弟子と製作した「前座マスク」が話題に。

https://www.hikoichi.com/

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