■“平成の怪物”の熱投

 怪物なら“平成の怪物”の熱投も忘れてはいけない。1998年第80回大会の準々決勝、横浜(東神奈川)のエース・松坂大輔が、強豪・PL学園(南大阪)を迎えた試合だ。「この試合まで松坂は、3試合で完投。しかも、前日に148球を投げたばかりでした」(高校野球関係者)

 PLは、疲労の見える松坂を揺さぶり3点を先取。以後は点の取り合いとなり、8回に横浜が同点に追いつくと、そのまま延長戦に突入する。「松坂は試合後、“11回以降、頭がボーッとして、どう投げたか覚えてない”と語っていました。そんな状態でも、12回から15回まで三者凡退。さすがは“怪物”ですよ」(前同)

 決着は延長17回、横浜が2点を奪い、9対7で勝利。松坂は250球を投げ抜いた。「さすがに翌日の準決勝は1回のみの登板でしたが、翌々日の決勝は、先発してノーヒットノーランを達成。まさしく“鉄腕”でした」(同)

 一方、松坂に敗れたPL学園だが、甲子園では数々の名勝負を生んでいる名門でもある。中でも、1983年第65回大会の準決勝。やまびこ打線の池田(徳島)と、PL1年生コンビの激突は、まさに伝説の一戦だ。「池田は、前年夏と同年春の優勝校。一方、当時のPLは、強いチームとは言えず、甲子園出場を決めて“番狂わせ”と報道されたほど。1年生の桑田真澄清原和博がレギュラーに抜擢されたのも、そんなチーム事情があってのことでした」(地元紙記者)

 優勝候補筆頭が相手でも、PLはそれまで通り、1年生の清原を4番に置き、桑田を先発登板させた。「実は、桑田は前の試合で右手の痺れのために途中降板。しかし、中村監督はまだ痺れが残る桑田に、賭けたのだそうです」(前同)

 だが、フタを開ければ、桑田は期待に応え、強打の池田を完封。自らホームランも放ち、7対0で勝利を収めた。「試合前、上級生は諦めムードで“今日は、どうせ負ける。せめて10点以内に抑えろ”と桑田に語っていたそうです。逆に桑田は、それでプレッシャーが和らいだようですね」(同)

 この試合は、KKコンビ時代の幕開けとなり、5季連続で甲子園に出場。優勝2回、準優勝2回という素晴らしい成績を残す。ただ、そんなKKコンビでも、成し遂げていないことがある。それは「春夏連覇」だ。

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