乃木坂46「個人PVという実験場」
第10回 特異な個性を持つドラマ型作品を担ってきた頃安祐良 3/5
■「フィクションを演じるアイドル」そのものを描く
頃安祐良が乃木坂46の個人PVで表現してきた「思いが成就しない者たち」のドラマについて、ここまで概観してきた。他方、頃安が個人PVを通じて表現する作品群のうちには、そうしたドラマとは趣の異なる、もうひとつの顔がある。それは、「アイドル」あるいは「乃木坂46」の文脈に寄り添った、独特の虚実のあわいを描くタイプのショートムービーだ。
その象徴的作品が、14枚目シングル『ハルジオンが咲く頃』に収録された伊藤万理華の個人PV「20」である。
https://www.youtube.com/watch?v=wre1D0EcmO4
(※伊藤万理華個人PV「20」予告編)
冒頭、かつて告白して振られた相手と学校の校庭で再会する伊藤を、その告白相手の主観で捉えたカットから始まる物語は、一見して「思いが成就しなかった者」のその後を描いたフィクションのような体裁をもつ。
しかし、やがて伊藤のあとを追って昇降口から校舎内に入ると、彼女の台詞もナレーションも明らかに位相を変える。すなわち、そこで上演されているのはフィクションドラマそのものではなく、「フィクションドラマを演じる伊藤万理華」の姿であることが明らかになる。
そして終盤、さらにドラマの設定から離れ、乃木坂46メンバーとしての「伊藤万理華」のパーソナリティやキャリアへといっそう接近するように展開してゆく。虚実のグラデーションはクライマックスに至って、最もドキュメンタリー的なものへと移り変わる。