伊藤万理華が「まりっか’17」の2年後に演じた「20」の複雑な構造【乃木坂46「個人PVという実験場」第10回 3/5】の画像
※伊藤万理華/画像は本サイトの記事(https://taishu.jp/articles/-/56932)より抜粋

乃木坂46「個人PVという実験場」

第10回 特異な個性を持つドラマ型作品を担ってきた頃安祐良 3/5

■「フィクションを演じるアイドル」そのものを描く

 頃安祐良が乃木坂46の個人PVで表現してきた「思いが成就しない者たち」のドラマについて、ここまで概観してきた。他方、頃安が個人PVを通じて表現する作品群のうちには、そうしたドラマとは趣の異なる、もうひとつの顔がある。それは、「アイドル」あるいは「乃木坂46」の文脈に寄り添った、独特の虚実のあわいを描くタイプのショートムービーだ。

 その象徴的作品が、14枚目シングル『ハルジオンが咲く頃』に収録された伊藤万理華の個人PV「20」である。

https://www.youtube.com/watch?v=wre1D0EcmO4
(※伊藤万理華個人PV「20」予告編)

 冒頭、かつて告白して振られた相手と学校の校庭で再会する伊藤を、その告白相手の主観で捉えたカットから始まる物語は、一見して「思いが成就しなかった者」のその後を描いたフィクションのような体裁をもつ。

 しかし、やがて伊藤のあとを追って昇降口から校舎内に入ると、彼女の台詞もナレーションも明らかに位相を変える。すなわち、そこで上演されているのはフィクションドラマそのものではなく、「フィクションドラマを演じる伊藤万理華」の姿であることが明らかになる。

 そして終盤、さらにドラマの設定から離れ、乃木坂46メンバーとしての「伊藤万理華」のパーソナリティやキャリアへといっそう接近するように展開してゆく。虚実のグラデーションはクライマックスに至って、最もドキュメンタリー的なものへと移り変わる。

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