■巨人に移籍

――92年、トレードで、デーブさんは巨人に移籍を果たします。巨人という環境は、やはり西武とは違いましたか?

大久保 皆さんも思われているように、巨人には「紳士たれ」というイメージがあったんですが、それが想像以上でした。たとえば、ジーパンじゃグラウンドに行けないとか。西武時代はジージャンとか着ていたのに、スラックスを用意しないといけなくなった。

――服装から、すでに2チームの違いが出たんですね。

大久保 それに野球のスタイルが違いました。セ・リーグは、いかに失点を抑えて勝つか。対してパ・リーグは、いかに多くの点を取って勝つかでしたから。「打たなきゃだめだ」という教えから、一変して「ミートをして打線をつなぐ」という考え方の野球の中に放り込まれました。だから、僕のスイングを見たときに巨人の先輩方は、「よく、あんなに振れるな」って言っていましたよ。「パ・リーグじゃ、みんな振ってますよ」って思っていましたけどね。

――巨人でのプライベートは、どうでしたか?

大久保 初めは遠慮していたんですが、そのうち先輩方とも飲みに行くようになりました。そこで西武時代にやっていた芸を披露したんですよ。『六本木心中』を歌いながら、1枚ずつ服を脱いでいく。その芸をやると大ウケでしたね。それから毎日、お座敷に呼ばれちゃいました。ライオンズでは普通だったし、こっちは楽しんでやっていたんですよ。先輩たちも「巨人の選手って自覚を持て」って言いながら(笑)何回もアンコールをくれました。

――当時の巨人には現巨人の原辰徳監督もいらっしゃいましたが、一緒に食事に行ったことは?

大久保 もちろんあります。衝撃的だったのはワインを飲んでいたことですね。西武時代の仲間にワインを飲む人はいなかったんですよ。1軍に行けばヘネシー、2軍なら吉四六です。それが、原さんと食事に行ったときに、ステーキ屋で初めてワインを飲ませてくれて。

――デーブさんがワインを知ったのは、原さんがきっかけだったと。

大久保 そうです。ワインて、こんなにおいしいんだって、胃を壊すまで飲んじゃいましたよ。

――当時の巨人の中で原氏は、どういう存在でしたか。

大久保 原さんは来るものは拒まないし、みんなに平等。だから派閥がなかったんですよ、当時の巨人全体が原派閥というか。原さんのひと言で、チームがすべてまとまる感じでしたね。

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