当初、大橋裕之のマンガ『シティライツ』収録のエピソードを原作にした劇映画として企画された『超能力研究部の3人』は、最終的にいまおかしんじ脚本の劇映画パートと、その劇映画のメイキング映像の体裁をとったフェイクドキュメンタリーパートとをかけ合わせた手法で仕上げられることになった。そして、そのフェイクドキュメンタリーの中に、どこまでが「フェイク」であり「リアル」であるのか判然としない奇妙な瞬間が混在する、特有の手ざわりが生み出されている。

 もとより山下敦弘は、このような虚構性とドキュメンタリー性の交錯に自覚的な作家であり、『超能力研究部の3人』が持つ構造も、そうした山下らしい資質があらわれた作品といえるだろう。

 ただしまた、フィクションとリアルのあわいを抽出することは芸能において、特にスターシステムを旨とするタイプのジャンルにあっては、普遍的に受け手の興味を喚起するものであり続けている。“虚実皮膜”という言葉で時折説明されるのも、芸能のそうした性質である。

 本連載が主題としている乃木坂46の個人PVも、フィクションとして何かが「演じられる」水準と、アイドル・乃木坂46の一員としてのその人自身を映し出す水準とが交錯するような作品を数多く生み出してきた。これまで取り上げてきた個人PVの中にもしばしば、虚実皮膜に自覚的な作品は登場している。

 ここからはあらためて、それら「アイドル」であることを軸にした虚実の混交が描かれる作品をいくつか捉えつつ、そこから浮かび上がるものをみていきたい。

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