■モンゴル相撲の経験はなかったが

――さて、親方は多くのモンゴル出身力士と違って、少年時代にモンゴル相撲の経験はなかったそうですね。

鶴 ハイ。白鵬関のお父さんはモンゴル相撲の横綱だし、朝青龍関や時天空関のお父さんも強い人。子どもの頃からモンゴル相撲が身近にある人もいますが、私の場合は、そういう環境はなかった。それよりもバスケットボールが大好きで、NBAのファンでした(笑)。

 それで15歳のとき、八角親方(元横綱・北勝海)が、モンゴルで少年相撲大会を開くという話があって、私も参加したんです。しかし、あえなく予選落ち。そこで優秀な成績の少年は、日本に渡って力士になれました。

 相撲経験がなかったにせよ、「予選落ち」はショックでしたね。そんなこともあって、「力士になりたい」という思いが強くなっていったんですが、どうやったら力士になれるか、分からない。困っていたら、父の知り合い(大学の日本語教授)が助け舟を出してくれて、日本の相撲関係者のところに手紙を2通送りました。「受け入れてくれる部屋がありましたら、期待に応えるべく、一生懸命頑張ります」という内容です。

――その1通が、のちに入門することになる井筒部屋に届いたんですよね?

鶴 手紙は本当に運任せだったんですが、送付した翌月くらいに、モンゴルの自宅に、井筒部屋のおかみさんから電話がかかってきて、「すぐにでも、日本に来ませんか?」と。さすがに、「わ〜、どうしよう!?」となりましたけど、それから半年後に、日本に行くことになったのは幸運でした。

 初めて部屋に入ると、畳の匂いが独特だったことを覚えています。あれから、男になって、お父さんになって。手紙に書いたことを守れたのはよかったですね。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5