■横綱昇進時は不安でいっぱい

――大関昇進は12年夏場所。直近の初場所、春場所は、横綱・白鵬関を破っての昇進でした。

鶴 白鵬関にはずっと勝てなくて、初めて勝ったのは12年初場所でした。大関に昇進したものの、すでに大関は5人いて、私を含めて「6大関時代」。毎場所、大関同士で星の潰し合いになる中で、横綱を狙うのは、厳しい状況でした。ただ、競い合う相手がいたのは大きい。そういう人がいないと頑張れませんから。そんな中、14年初場所で14勝を挙げた私に、綱取りのチャンスが巡ってきたんです。

――綱取りの春場所で見事、初優勝。横綱を手にしたときの気持ちは?

鶴 昇進が決まったときは、もう不安しかないですよ。「うれしいです」とコメントしたのは覚えていますが、本音を言えば、「1年でも2年でも、横綱を務められればいいかな……」。そんな感じだったと思います。

 横綱になってみると、立場の重さ、苦しさがよく分かりましたし、長く横綱を務めている白鵬関は、そういうことを乗り越えていることも分かりましたね。15年からはケガでの休場も続いていて、「なんとか、横綱として早く優勝しなければ……」と思っていた。だから、その年の秋場所で2回目の優勝ができたときは、本当にうれしかったです。

――18年は春場所、夏場所と2度の優勝。19年名古屋場所には、6回目の優勝を飾ります。

鶴 結果的に最後の優勝となったその場所前も、アクシデントに襲われたんです。東京で万全な稽古やトレーニングを積んで名古屋入りして、「今場所こそ!」と思っていたのに、腰に違和感を覚え、場所が始まるまでの1週間は、1日2回の治療に専念。前半戦は痛み止めを打ちながら、ぶっつけ本番で臨んだ場所でしたが、腰痛が悪化しないよう、早く攻めたことが攻を奏して、優勝につながりました。

 でも、この間、横綱・稀勢の里が引退したり、20年に入ってからは、豊ノ島(現・井筒親方)、一緒に大関を張った琴奨菊(現・秀ノ山親方)といった同世代の力士が、相次いで引退。同じ時代に戦った力士がいなくなると、張り合いもなくなるし、正直、寂しかったですね。同世代が引退すると、「自分もそろそろかな……」と思いますしね。

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