■タイトル料を開幕前に要求!?

 そんな牛島らとの4対1トレードで、電撃的に中日へと移籍したのが、他ならぬ“三冠王”落合博満だ。一筋縄ではいかない性格の彼もまた、悪童の一人だ。

「今でこそプロとして当然とも言えますが、契約更改のたびに“銭闘態勢”を取る落合のような選手は、当時はまだ少なかった。しかも、年俸とは別に翌年のタイトル料まで要求したとも。もちろん仮に獲れなくても、返還は一切なし。こうした“銭ゲバ”の面が、フロント陣から煙たがられたのは間違いないでしょう。セコいのか、信子夫人から禁煙を厳命されてたからなのか、自分ではタバコを買わず、もっぱらもらってばかりだったんです。記者連中もタバコを差し出す係、火を点ける係と分担してましたよ」(前出のデスク)

 球界を震撼させたトレードの直接的な引き金が、信頼を寄せる稲尾和久監督の解任だったことは、よく知られる。しかし、“ミスターオリオンズ”有藤通世との確執も原因だったという。

「オチさんは群れるのが嫌いな一匹狼。何かと面倒を見たがる親分肌の有藤さんにすれば、それが面白くなかったんだろうね。俺が入った頃は、有藤さんや張本(勲)さんもまだ現役。その威圧感で、本職も道を空けたっていうし“エラいところに入ってしまった”と心底、思ったよ(笑)」(愛甲氏)

 そんな落合がバットを置いた年、ボールを球審に向かってぶん投げたのがガルベスだ。98年、甲子園での阪神戦、判定が不服のガルベスが、球審に向かって剛速球を投げつけたのだ。

「もちろんガルベスは即刻退場。暴れる彼を制止しようとしたお目付役の吉原孝介は、彼からエルボーを食らって流血する惨事でした。その素質に惚れて獲得を決めたのは、当時の長嶋茂雄監督。後日、ミソギの坊主頭で現れたときは、衝撃でした」(元巨人担当記者)

 ミスターにそこまでさせた彼は、成績だけなら文句なしの優良助っ人。来日初年度には16勝をマークして、最多勝も獲っている。だが、暴挙の“前兆”は、その頃から顕著で……。

「中日の山﨑武司との殴り合いの大乱闘は、初年度の出来事でした。それにしても、あれほどキレた彼が、“カルシウムブソク、シテイマセンカ?”と、日本酪農乳業協会のCMに出ていたんですから、何の冗談かと思いますよ(笑)」(前同)

 ガルベスのように衆人環視の中で乱暴狼藉を働くケースは、なかなかない。ファンからは垣間見えずに、マスコミを通じて悪評が流布されることのほうが、ずっと多かったのだ。

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