■ボールとバットを結ぶ“線”…
ただ王氏に言わせれば、「大谷は、ホームランを意識してバッティングしているわけではない」という。
「ホームランを意識するとアベレージが下がり、三振が増える。バッティングが大雑把になって、いいことは一つもないから」(王氏)
それよりも重要なのが、タイミングの取り方だという。伊原氏は、「大谷はタイミングの取り方が上手だから、インパクトの瞬間にブレがない。あれだけホームランが出ているということは、そういうことだと思います」
王氏は打撃フォームの変化が、良い効果をもたらしていると話す。
「オープン戦の半ばから、大谷はフォームが変わってきた。春頃まではメジャーの強い球に振り負けないように、右足を上げて構えていたんです。ところが、シーズンが近づくにつれて、足を上げないで、早目にステップしてボールに対応するようになったんだ。これによって、打者にとって一番大切な“ボールとバットを結ぶ線”ができたんじゃないでしょうか」(王氏)
打撃フォームの改造を契機に強打者として生まれ変わったのは、王氏も同様だ。伝説の“一本足打法”の開眼である。
「1959年にプロデビューした王さんですが、最初の3年間は目立った成績を残せていない。それが、61年のシーズン終了後に荒川博さんがコーチに就任したことで、運命の転機を迎えたわけです」(元スポーツ紙巨人担当記者)
62年のシーズン、王氏は極度の不振に陥っていた。
「7月1日の大洋戦(現DeNA)の試合が、雨で30分遅れたため、急遽、巨人のコーチ会議が開かれたんです。その席で、荒川コーチが別所毅彦ヘッドから、“王は、ちっとも打てないじゃないか”と叱責されたんですよ。すると、カッときた荒川さんは“じゃ、打てるようにしますよ”と啖呵を切って部屋を飛び出し、王さんのところに行って“一本足を試そう。責任はオレが取る”と言ったんです」(前同)
王氏が述懐する。
「荒川コーチと、右足を高く上げてタイミングを取る練習をやったことはありましたが、軸がブレたりするので止めていたんです。でも、あの日の試合前、一本足で10分くらいバットを振ったかな……。僕も藁をもつかむ思いでしたね」
ぶっつけ本番で挑んだその日の試合で、王氏はライトスタンドにホームランを叩き込む。
ここから、快進撃が始まったのだ。