■ボールを飛ばしすぎて禁止令

 野球好きの少年が、そのまま大人になった感じの大谷だが、実際の少年時代は、どうだったのだろうか?

「父親の徹さんは横浜で社会人野球の選手だったんですが、大谷の兄と姉が生まれた頃に引退し、実家がある岩手県奥州市に帰りました。ここでトヨタ系の自動車工場の工員として勤務。郊外の家は2階建てで、大谷の家は本当に、ごく普通のサラリーマン家庭なんですよ」(地元紙記者)

 大谷は岩手で生まれたが、徹氏は最初、地元にゆかりのある、敬愛する源義経にあやかって、名前を義経にしようと思っていたという。

「しかし、大谷義経では、いくらなんでもと思い、徹さんの好きな漢字だった翔と、家から近かった平泉の平を取って、翔平と名づけたそうですよ」(前同)

 大谷は小学生になると、地元の少年野球チームに入団する。徹氏は仕事で忙しい毎日の合間を縫って、コーチを買って出たという。

「当時の徹さんは夜勤の日もあったそうで、その日は一睡もせずに大谷を車に乗せて、河川敷の練習場に来ていたとか。そうした親からの労を惜しまない助力が、大谷の野球人生のスタートダッシュを手助けしたのかもしれません」(同)

 また、少年時代には、こんな逸話もある。

「大谷君は小学生時代には、すでにホームランを連発するパワーヒッターで、ボールがライト方向の川に飛び込んでしまうんですよ。たまらず“引っ張り禁止令”が出されたんです」

 こう話すのは大谷の少年時代を知る元チームメイトの親だが、禁止令を受けた大谷はすぐに流し打ちを覚え、一層レベルアップしたというから恐ろしい限り。

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