■伝説となった「江夏の21球」

 一方、最終回、しかも最終戦のマウンドで一打逆転のピンチをしのいで“伝説”となったのが、79年の広島対近鉄。無死満塁という広島の大ピンチを完璧に抑え切った、世に言う“江夏の21球”だ。

「ベンチの古葉竹識監督が継投の準備をさせたことが、“守護神”江夏豊に火をつけた。まず代打の佐々木恭介を三振。続く石渡茂のスクイズを外して、三塁走者を三本間で挟殺し、打席の石渡も結局、三振。あれこそ、まさに独壇場でしたね」(在阪スポーツ紙元デスク)

 ちなみに、この元デスクによれば当時、夕刊も発行していた在阪各紙は、無死満塁の時点で、近鉄日本一へと紙面を切り替えていた。歴史的な熱投の裏でてんてこ舞いを味わったという。

 近鉄が絡む日本シリーズとなれば、あの“事件”にも触れないわけにいくまい。1989年、対巨人との第3戦。勝利投手としてお立ち台に上がった近鉄・加藤哲郎による「巨人はロッテより弱い発言」だ。最終戦で、その加藤から先制のリベンジ弾を放って、シリーズMVPにも輝いた駒田徳広氏が振り返る。

「3戦やって3戦とも負けたら、状況的には何を言われてもしかたない。屈辱というより、“困ったことになった”というのが正直な気持ちだったよね。ただ、結果として、あれで潮目が変わったのは確か。想像以上の大ごとになったことで、近鉄側にも動揺はあったはずだし、だからこそ、つけ入る隙もできたんじゃないかな」

 駒田氏はまた、両者の命運を分けたのは「日本シリーズに対する認識の違い」だったと言う。

「第3戦の後、藤田元司監督が読売本社に行ったと聞いて、僕ら選手にも、ただならぬ雰囲気は否が応でも伝わった。なにしろ当時の務臺光雄名誉会長は、日本一を逃した年を優勝とカウントしないことでも有名な方。つまり、日本一の称号は巨人にとって、それほど大きな意味があったわけです。近鉄との違いがあったとすれば、その重みなんじゃないかなって」

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