■2アウトと勘違いして号泣!?

 他方、その駒田氏が「巨人軍の一員として戦うことの重みを再認識した」と語るのが、その2年前の日本シリーズだ。西武・清原和博が「KKドラフト事件」因縁の王監督を相手に巨人打倒を成し遂げて、試合中に涙した87年のシリーズだ。

「僕も子どもの頃から巨人ファン。彼と違って単独指名でスポンと入れてしまった立場としては、その意味を改めて考えるきっかけにはなったよね。ちょっと力を抜いて考えれば、プロとして最高の見せ場。でも、たぶん彼の思いは、それが簡単にできないくらい強かった。後々聞いたら、あのとき、本人は2アウトと勘違いして感極まっていたとも言うからね」(駒田氏)

 その87年も含めて3度敗れていた黄金期の西武に、巨人が初めて勝利したのが、監督としてミスターが初めての日本一になった94年の日本シリーズだ。歴史的勝利の裏側にあったのが、あえて初戦で打ち込まれて敗戦投手となった桑田真澄の献身だ。

「盟友・清原に先制アーチを浴びるなど、桑田は6回4失点。結局、試合も0対11の大差で敗れました。ただ、このとき桑田は、スコアラーの集めたデータを基に西武打線を冷静に分析。それを次戦の槙原寛己に伝えてもいた。シリーズMVPの槙原が見せた、流れを引き戻す第2戦の完封劇には、桑田からの的確なアドバイスがあったわけです」(前出のライター)

 同じ年、球界を席巻していたのが彗星の如く現れたオリックスのイチローだ。翌95年のシリーズは、野村克也率いるヤクルトのID野球が、彼をどう攻略するかに注目が集まった。当時、ベンチ入りしていた橋上秀樹氏が言う。

「当時、野村さんはテレビなどで“攻略法があるとすればインサイド”といったことを盛んに口にしていた。戦術の一つとしてメディアを利用して、相手に、それを意識づける。端で見ていて、やっぱり“うまいなぁ”と思いました。しかも、それが下地にあるところへ、第2戦では石井一久から死球を食らった。もちろん故意ではないですが、あれでイチローも“本当に来るんだ”と意識することになったはずです」

 全5戦を通したイチローの打率.263。打者部門で五冠を制したレギュラーシーズンの圧倒的な成績からすれば、それは、いかにも物足りなかった。

「読みではなく体の反応でさまざまな球種に対応する、というのが当時の彼に対する一般の認識。ところが、古田敦也は“彼は球種やコースを、ある程度絞っている”と言っていた。構えたときの軸足の角度が、球種によって微妙に変わる。そのことに彼は試合の中で気がついたんです。イチローの思考を上回った古田の鋭い洞察力。それもまた、大きな勝因の一つではありましたよね」(前同)

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