■“本能的に怖いと思った”衝撃の才能

「落合は、清原が登場したときの衝撃を“本能的に怖いと思った”と表現しています。無冠の帝王に甘んじる彼に“変わってほしかった”とも口にしていた。その才能を誰より認めるからこそ、自身が退いてまで道を作ったんです」(同)

 松井のメジャー移籍以降、FA組や外国人が4番を務める時代が続いた。そこに台頭してきたのが“打てる捕手”阿部慎之助だ。

 初の4番を任されたのは、プロ初安打から6年後の2007年。それから、さらに4年後の11年、ようやく“不動の4番打者”となる。

「リードに難があった阿部を“巨人のためにも、すぐに使うべき”と猛プッシュしたのが、当時、長嶋監督の下で帝王学を学んでいた原ヘッドコーチでした。定着こそ遅かったですが、阿部も間違いなく巨人を代表する4番の一人に成長しましたよね」(前出の巨人担当記者)

 ちなみに、4番初打席で本塁打を放ったのは、巨人の長い歴史の中でも、1試合だけ4番に座った柴田勲と阿部、そして“当代”岡本の3人だけ。

 2014年のドラフト会議、その岡本を“鶴の一声”で一本釣りしたのも、原監督その人だった。

「原監督は、スカウト部が用意した1位候補や即戦力投手をすべて蹴り、“1位は岡本でいこう。将来の4番になれる逸材だ”と押し切った。辛抱強く使い続けた高橋由伸監督の功績も大きいですが、すでに指名の時点で、原監督と“4番の遺伝子”が共鳴し合っていたんでしょう」(前同)

 昨今の球界では“2番最強説”や“3番最強説”が日米を問わず大流行中だ。4番の価値は大きく変わりつつある。しかし。

「かつて松井は、打ち損じても“しまった!”という顔を絶対にしなかった。

 岡本は、好不調の波の大きさを理由に東京五輪の日本代表から外されるなど、悔しい思いしている。巨人と対峙してきた者の一人として、松井のような有無を言わさぬ“真の4番”になってほしいよね」(前出の若菜氏)

 90人の強打者によって受け継がれてきた“巨人の4番”。その現在を担う岡本の一発が、V奪還を目指す原巨人、そして球界の盟主“復権”に向けた狼煙となる――。

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