■王貞治に非通知で電話したイチロー秘話

 では、連覇した第1回、第2回大会の戦いぶりははたして、どうだったのか。

 出場辞退者が続出した初の大会は、王貞治監督をもってしても編成には四苦八苦。同年、日本一からアジア王者にもなったロッテから大量8名が選ばれるなど、球団ごとの偏りもあった。

「周囲も心配したほどの苦境を救ったのは、いち早く王さんに直接“喜んで”と参加を伝えたイチローでした。イチローは、ふだんの設定のまま非通知で王さんに電話したそうですが、かけた自分より先に“ハイ、王です”と名乗った王さんに、“器の大きさを感じた”と感激したそうです」(前出の球界関係者)

 そんなイチローが率先してリーダーシップを発揮したチームは、韓国戦での連敗や、“誤審”で惜敗したアメリカ戦などもあり、2次リーグで崖っぷちに。

 3度目の対戦となる準決勝・韓国戦を翌日に控えたミーティングでは、選手たちにも「状況的に進出は絶望的なのに、やる意味あるの?」と、シラケムードが漂っていたという。

「ミーティング後、チームは慰労の食事会を開催。だが、その同時刻にメキシコがアメリカに勝利し、日本のベスト4がからくも決まった。選手たちは食事そっちのけで、店のテレビに熱中していたと聞いています」(前同)

 結局、日本は敗退寸前の土壇場から、韓国、キューバに連勝。初代王者の栄冠を手にした。

■“背中で語る”存在は現れるか

 原辰徳監督が率いた3年後の第2回大会でも、連続出場の“英雄”イチローの人気はすさまじく、強化合宿が行われた宮崎では、球場までの幹線道路で大渋滞が起きたという。

「すでに彼は当時35歳。生のイチローが日本で見られる残り少ない機会とあって、全国からファンが殺到しましたんです。ただ、本戦では彼の打撃不振もあって、チームはまたも敗退危機。敗者復活戦からの“下克上”で勝ち上がっていくことになりました」(同)

 だが、そんなジャパンの危機を打破する“救世主”となったのも、やはり大黒柱であるイチローだった。延長戦へともつれ込んだ決勝・韓国戦の決勝打は、今でも語り草だ。

「不振のイチローに、マウンドの林昌勇も迷わず勝負を選択した。前回大会における“向こう30年”発言などもあり、韓国にとっても、彼は因縁の相手でしたしね。当のイチローも、同大会では5度も自らバントを試みるなど、苦悩した。あの勝ち越しタイムリーは、そんな彼の執念を感じる一打でした」(同)

 きたる大会に、イチローのような“背中で語る”存在は、はたして現れるか。

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