■若き守護神の“復活”に甲子園は大歓声
たった一球でピンチを脱した若き守護神の“復活”に、甲子園は地鳴りのような大歓声に包まれた。
前出の藪氏はこう続ける。
「むろんフェニックスリーグでの好投で“行ける”と踏んだうえでの起用だったことは言わずもがな。とはいえ、当の湯浅自身には、同じ甲子園、同じオリックス戦で2発を浴びて降板した6月15日以来の1軍マウンド。
岡田さんは、そういった“投げるべき理由”のある選手を発奮させるのが、本当にうまいと感じます」
まさに、人情派といったところだろうか。
「第2戦で打ち込まれた西勇輝(32)をリリーフ起用した第6戦、最終戦の伊藤将司(27)、桐敷拓馬(24)も、“やり返してこい”という親心。信頼とはまた別の、ある種の気遣いができる人なんです」(前同)
■日本シリーズ史上初の完全試合を
そんな人情派の岡田に対して、非情だともいわれる采配をしたのが、07年の落合博満監督。日本シリーズ史上初の完全試合を目の前にした山井大介を、最終回で降板させたのだ。
「山井の肩を叩く森繁和コーチの様子がテレビに映し出されていましたが、あれは落合監督からの伝言で、交代を告げるものだったんです。山井コールが響き渡っていた球場も、交代のアナウンスが流れると静まり返っていました」(前出のジャーナリスト)
■“完投負け”した田中将大が“抑え”として登場
過去にも、球場の空気を一変させた“継投”があった。13年、楽天VS巨人の第7戦。
前日に160球を投げ切って“完投負け”した田中将大が“抑え”として登場。
巨人のコーチとしてベンチ入りしていた前出の秦氏は、当時の様子を「完全アウェイだった」と語る。
「シーズン無敗のマー君に初めて土をつけた時点では、“これは行ける”と意気軒昂だったのに、彼が出てきた瞬間に空気が一変。選手たちが気圧された。
球場の雰囲気が選手を後押しするという部分では、今回のシリーズでも、敵地でさえホームのようだった阪神に有利に働きました」