■育成からはい上がったサイドスロー 三ツ間卓也(元中日)
生涯成績/77登板4勝3敗15H いちご農家
プロ野球選手のセカンドキャリアって基本的に、めちゃめちゃ暗く報じられるじゃないですか。僕は、そうじゃないって言いたいんです。
野球選手の肩書で注目されるのは引退して1〜2年。最初は同情で注目されても、すぐに過去の人です。僕は今、インスタやユーチューブを積極的にやってますが、「今、三ツ間は土地がないらしいよ」「キッチンカーの融資が成立したらしいよ」とか、現在進行形で情報を共有することで、忘れられるスピードが遅くなると思ってるんです。その間に、いちご栽培の実力を上げて、知名度と栽培の実力の曲線が逆転するグラフを描くのが理想です。
だから、初動を重要視して一番早く開業できるルートを探しました。結果、2年間学校に通いながら、農園を横浜市の泉区に決めることができました。でも、やはり、ゼロから農家に参入することは、簡単ではなかったです。まず土地がない。良さそうな土地があれば飛び込みで事業計画をプレゼンしましたが、まず信用されない。
「野球選手なら野球をやればいいだろ」と言われたこともあるし、契約直前になって相場の120倍の家賃をふっかけられたことも。でも、飛び込みを繰り返しているうちに「三ツ間という男が熱心に土地を探している」という話が農家の人たちの間で伝わって、協力してくれる人が出てきたんです。
農園を開く際には、インスタを見たファンの人が全国から手伝いに来てくれました。ある人に「なんで、ここまでやってくれるの?」と聞いたら「球場に行ったとき、他の選手が無視する中で、三ツ間さんだけがサインに応じてくれたのがうれしかった」と言うんです。ありがたいですよね。
農園は開けましたが、いちごは生き物、5000苗を育てるのは想像以上に大変でした。水やりは一日4回、天候や気温など、環境は秒単位で変わります。病気になった、台風が来たと、ハプニングだらけで、とんでもなく奥が深い世界です。
僕が、いちご農家を志したのは、現役時代にコロナ禍で外出できない子どものため、ベランダで栽培を始めたことが契機です。転身を後押ししてくれた妻は「プロ野球選手は、一つのことに注力できる人。子どものため、いちご作りに熱中する姿は本気だった。私も共働きで頑張るから、いちご農家にチャレンジしてよ」と言ってくれました。信頼してくれる妻と「パパのいちごが大好き」と言ってくれる子どものために、苦労は感じないです。品質とブランド力を高めて、夢はでっかく年収100億円。その第一歩として、来年1月のオープンに全力で準備をしています。