「凄いにもほどがある!」驚愕証言昭和の昔から令和の現在まで――。球史に燦然と輝く、数多の巨星たち。その衝撃エピソードを一挙に紹介!
水谷一平ショックも
日米騒然の“一平ショック”も、どこ吹く風。我らが大谷翔平(29)が早くもエンジン全開だ。
「開幕当初こそ騒動の影響が心配されましたが、そんなものは我々の杞憂だったよう。待望の今季1号を放った4月3日以降は打棒も爆発。開幕16戦15長打のMLBタイ記録をマークした他、さすがの活躍を見せています」(在京スポーツ紙元デスク)
そんなスーパースターぶりを発揮する大谷は、もはや“凄い”の一語だが、日本プロ野球が誇る歴代レジェンドたちも、“凄さ”にかけては負けていない。
そこで今回は、球史を彩る新旧スーパースター20人の“凄すぎ”伝説の数々を、関係者の証言とともに届けよう。
王貞治一本足の転機
まずは、件の大谷の打撃センスに花巻東高校時代から惚れ込み、「僕のホームラン記録を抜く日本人は大谷だろう」とまで“予言”していた“世界の王”王貞治。
王といえば、代名詞である“一本足打法”を生んだ恩師・荒川博コーチとの二人三脚で知られるが、
「初実戦となった1962年7月1日の時点で“一本足”は実はまだ未完成。試合前の会議で、同僚コーチの別所毅彦氏から“王が打てないから勝てない”と罵倒された荒川氏が、怒りに任せて“今日から一本足で打て”と命じたことが、大きな転機となったんです」(スポーツジャーナリスト)
半ば“見切り発車”だった、その試合で見事、本塁打を放った王は、初戴冠の同年から、13年もの長きにわたって本塁打王に君臨。
80年の最終年でさえ、30発を放つ“超人”ぶりで、今なお残る868本塁打の世界記録を打ち立てた。
王の晩年、75年の中日ドラ1としてプロ入りした田尾安志氏が振り返る。
「巨人戦で塁に出ると一塁の王さんから声をかけてもらえる。まだ若かった僕は、それが嬉しくて頑張ったところもありました。“1-3から1球見逃したけど、『待て』のサイン?”“違うなら、あの球は打ったほうがよかったな”とかね。そういうやりとりはいまだに鮮明に覚えていますよ」