“ゴジラ”松井秀喜
西山氏といえば、並み居る強打者と数多の名勝負を繰り広げた広島の正捕手。中でも「凄かった」と語るのが、96年8月27日の巨人戦。“ゴジラ”松井秀喜から打たれた一発だ。
「内角に要求した紀藤(真琴)さんの速球を狙い打ちされてね。インパクトの瞬間の、何かが潰れたようなものすごい音は今でも耳に残ってる。あんな金属バットみたいな音は後にも先にも、あの一度だけだしね」
瞬く間に広島市民球場の場外に消えていった豪快な一発には、さすがの赤ヘルナインもなすすべはなし。直後、集まった内野陣からも、ただ感嘆の声が上がっただけだったという。
「確か、正田(耕三)さん、野村(謙二郎)さん、それと江藤(智)だったと思うけど、思わず誰もが“凄かったなぁ”“あんだけ打たれたら気持ちええやろ”と。僕の配球が悪かったと言われたら、それまでやけど、あれは忘れられないね」
“安打製造機”イチロー
その松井の1学年上で同時期にブレイクしたのが、世界を驚かせた“安打製造機”イチローだ。
愛知出身の彼は、幼少期は中日ファン。中でも憧れたのが前出の田尾氏だ。
「“チチロー”こと宣之さんからも、“子供の頃は、よく真似をしていた”“ウチにある野球選手のサインは田尾さんだけ”なんて言ってもらえてありがたい限りですけど、プロでの実績は比べるのもおこがましいほど、彼のほうが凄い。まだ2軍の無名選手だった頃から、その片鱗は一目ですぐに感じましたからね」
それは解説者の田尾氏が、オリックスの宮古島キャンプを訪れたときのこと。まだ若かった田尾氏は、その場で、打撃投手を買って出ることがよくあった。
「2人相手にして、そのうちの1人が、1軍に帯同していた当時2年目とかの彼でした。その頃から芯に当てるのがうまくて、“おやっ?”とは思ったけど、当時はまだ重心が前足に乗りすぎているような構えでね。
その場でそこを指摘したら、次に見たときはもう“振り子”に変わっていた。そこからの活躍は皆さんもご存じの通りですよ」