落合博満は三冠王3回

 そのノムさんに代わり、80年代のパ・リーグで一躍、台頭したのが孤高の天才打者・落合博満

 三冠王に輝くこと最多の3回。その卓越した打撃技術には、関係者からも「今の大谷でもかなわない」との声が上がるほどだ。

 野手転向後に薫陶を受けた愛甲猛氏が、プロ1年目に感じた凄みを、こう語る。

「あれは川崎球場での南海戦。抑えの金城(基泰)さんから、オチさんがレフト最上段にサヨナラ本塁打を放ってさ。

 その直前、初球の真っすぐに空振りしたのに違和感を覚えて本人に聞いたら、“よく気づいたな。ドカ(香川伸行)は、空振りした球を決まって、もう1回要求すんだよ”と。そのとき思ったよ。この人は、なんて恐ろしい人だって」

 その後、愛甲氏が野手として頭角を現した86年には、こんなやりとりも。86年と言えば、落合が2年連続50号&三冠王を手にした、まさに全盛期だ。

「川崎での阪急戦。ちょうど左翼から右翼に強風が吹いていてね。代打で出た俺が佐藤義則さんから右翼席に一発。次の打席でも引っかけながらもスタンドまで運んだことがあったんだよ。

 そしたらオチさんが珍しく褒めてくれて“分かっただろ、猛。風が吹く方向に打てば、ああやって簡単に入るんだよ”だって。そこまで読んで狙えたら、俺ももっと打ってるよね(笑)」

“鉄人”衣笠祥雄の連続試合出場世界記録

 他方、“鉄人”衣笠祥雄によって、連続試合出場の世界記録が塗り替えられたのも、この86年。全試合出場は翌年の引退まで、実に17年連続。2215試合連続出場は、今も燦然と輝く日本記録だ。

 後輩を連れ歩くことなどめったになかった衣笠に、ことのほか目をかけられたという西山秀二氏が言う。

「僕が広島に移籍したのが87年だから、全盛期のキヌさんは直接知らないけど、身近に金本(知憲)という存在がいただけに、試合に出続けることの大変さは分かる。

 金本なんかも、痛いそぶりはおくびにも出さない。骨折で見るからに指が曲がっているときでも“ハリのいい先生がおるから、それで治す”って、そのまま次の試合にも出てたしね」

 そんな西山氏が垣間見た、衣笠本人の凄さは、酒の席での“鉄人”ぶり。2人で食事に行って、ワインを3本。衣笠一人でボトルを2本、空にしてしまうこともあったとか。

「一度、麻布十番の行きつけのバーに連れて行ってもらったときは驚いたね。一口飲んだだけで火を噴くぐらい度数の強いカクテルがあって、それをキヌさんはお気に入りだって、平気な顔をして立て続けに5杯ほど頼んでいた。

 僕もお酒は好きだけど、そこが1軒目じゃないからね。とてもじゃないけど、あれは、よう飲まなかったよ(笑)」

 とはいえ、そこは国民栄誉賞の人格者。どれだけ深酒をしても、荒れることは一度もなかったという。

「酒の席はもちろん、球場の内外でも、声を荒らげる姿は一度たりとも見たことがない。誰が相手でも接し方は丁寧で変わらないし、いつもニコニコして、とにかく野球談義が大好きでね。人としても尊敬できるところしか、なかったね」

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