■世界各地の冬至

 ここまで日本の冬至事情について説明してきたが、次は世界各地では冬至の日にどんなことを行うのかを見ていきたい。

●中国

 中国では、冬至の日は家族みんなで団らんして過ごすという風習がある。また、中国北方では餃子を、中国南方ではもち米で作られた湯円(タンユェン)を食べる風習が定着している。

●クリスマスのルーツは冬至にあった!?

 日本での「クリスマス」や「クリスマスイブ」は、パーティを開いてケーキやチキンを食べたり、プレゼントを交換したり、小さな子どもたちはサンタクロースからプレゼントをもらうなど、冬のイベントとして浸透している。しかし、世界的に見るとクリスマスは、イベントである以上にとても重要な“祝祭”と見なされる向きが強い。

 12月25日のクリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝う世界的には大切な祝祭だが、クリスマスの起源をたどっていくと、冬至との深い関連が見えてくる。

 古代ヨーロッパのゲルマン民族の間では「ユール」と呼ばれる冬至祭が行われていた。この冬至祭の期間は、なんと12日間。冬至は、1年のうちで最も夜の時間が長く太陽が出ている時間が短いことから、“太陽の死と復活”を祝う意味が「ユール」にはあった。

 その後、ヨーロッパを中心に世界の国々でキリスト教が広まっていった。実はイエス・キリストの正確な誕生日は、現在に至るまで分かっていないのだが、4世紀半ばのコンスタンティヌス帝統治下のローマにて、12月25日と定められたのである。なぜそんなことをしたのかというと、その当時のローマの布教事情によるところが大きかった。

 当時のローマでは、キリスト教徒とは別の宗教の勢力が強く、その信徒たちは冬至に近い12月25日を太陽の死と復活を祝う冬至祭「ユール」の日と定めていた。コンスタンティヌス帝や教会は、キリスト教が他の信徒と対立することのないようにとの願いを持ち、「ユール」の日と同じ12月25日にイエス・キリストの生誕を祝うことにしたのである。北欧諸国では現在もクリスマスを「ユール」と呼ぶ国も残っている。

 太陽の死と復活を祝う冬至祭「ユール」と、イエス・キリストの生誕。これら2つの祝祭が結びついて、「クリスマス」が生まれたのだ。

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