■真の“開拓者”野茂英雄

 道を切り拓いた真の“開拓者”という意味ではもちろん、この人、野茂英雄を置いて大リーグは語れない。大リーグ評論家の福島良一氏が往時を振り返る。

「あの頃は、肘に負担をかけるという理由から、落ちる変化球自体を投球禁止にしていた球団もあるご時世でしたから、“宝刀”フォークを武器にした彼の登場は、なおさら衝撃的でした。数ある奪三振ショーの中でも、1995年6月14日、パイレーツ戦の16奪三振は、日本人投手の最多記録として現在も残っています」

 もちろん、ノーヒットノーランを達成したのも、野茂が初。日本人では他に2015年、当時マリナーズの岩隈久志がいるだけだ。

「リーグをまたいで複数回達成しているのは、メジャーでも彼を含めて5人だけ。とりわけ、1996年9月17日のロッキーズ戦の初快挙は、圧倒的打者有利で知られる標高1600メートルのクアーズ・フィールドで達成された唯一の記録でもあることから、“史上最も価値のあるノーヒッター”とも言われています」(前同)

 ちなみに、前出の薮田氏はロイヤルズで、その野茂と同僚に。球団の配慮でロッカーも隣だったという。

「右も左も分からない僕にも親身になってくれて、すごく助けてもらいました。そのときすでに野茂さんはレジェンド。僕自身も“うわ、野茂さんだ!”となりましたが、それ以上に向こうの若い選手たちから尊敬の眼差しを集めていたのが印象的でしたね」(薮田氏)

 一方、ヤンキースで日本人初のチャンピオンリングを手にしながら、野茂とは対照的な“悪童”で鳴らしたのが伊良部秀輝だ。だが、ロッテで1年だけ同僚だった薮田氏は、そんな世間のイメージとは異なる一面を証言する。

「伊良部さんの日本最終年だった1996年の対ダイエー最終戦。7回をゼロに抑えれば、2年連続の最優秀防御率が確定するという状況で、“じゃあ、獲っちゃおうかな”と、7回無失点、11奪三振。事もなげにタイトルを獲ってしまった姿は衝撃でした。当時、僕はまだ新人。格の違いを改めて実感させられましたね」

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