■目立ちたがり屋・新庄の受難
そんな96年と言えば、オリックスがリーグ連覇&初の日本一に輝いた年。その立役者イチローも、前人未到、7年連続首位打者の実績をひっさげ、2001年に海を渡った。
「イチローの名が全米中に轟いたのは、開幕早々の01年4月11日のアスレチックス戦。右前安打で三塁を狙った相手走者のテレンス・ロングをノーバウンドのストライク送球で刺したプレーでしょう。現地実況アナが叫んだ“レーザービーム”はその後、彼の代名詞としてすっかり定着して、言葉自体も日米で流行しました」(福島氏)
他方、イチローと同じく01年に「記録はイチロー君に、記憶は僕に」の名言で沸かせた新庄剛志も、メッツへと電撃移籍。今につながる持ち前のスター性を、海の向こうでも発揮した。
「02年のワールドシリーズ出場は日本人野手初。あの派手なプレースタイルと、オレンジの長いリストバンドをはじめとしたユニフォームの着こなしは、全米のファンにも大いに受けて、人気者でした」(前同)
だが、彼独特の目立ちたがり精神が、文化の異なるかの地でアダにもなってしまったという。
「大量リードの展開でスリーボールから打ちに行って、次の試合で報復死球を食らったり、バット投げや手からのホームインが挑発と誤解されたりと、メジャーの不文律に多く触れたのも実に彼らしい。メッツ時代の本塁打10本のうち、9本が他人のバットを借りて打った、というのもイチローには考えられない珍記録と言えるでしょうね」(前同)
そんな新庄に続く存在となったのが、ゴジラこと松井秀喜。今も語り草となっているのが03年4月8日のホーム開幕、ツインズ戦だ。
「入団1年目の新人が打った初本塁打がグランドスラムとなったのは、球団史上初の快挙。その、たった1発で、すぐに結果を求める目の肥えたニューヨークのファンのハートを、わしづかみにしたんです」(前同)
ちなみに、大リーグデビューから4年目の途中まで続けた518試合連続出場は、メジャー記録を塗り替える大偉業。それを豊富な戦力を誇るヤンキースで成し遂げたことにこそ価値があると、福島氏は続ける。
「シーズン全試合出場でさえ、達成できるのはメジャーではひと握り。どこより勝ちに貪欲で、選手の入れ替わりも激しいヤンキースで、4年にもわたって、それを続けたというのが、今でも彼がファンから愛されているゆえんでもある。もちろん、09年のワールドシリーズMVPという勲章の存在も大きいですけどね」