■逆転のホームを踏んで世界一

 他方、21年の日本シリーズをヤクルト監督として制した高津臣吾も、海の向こうで揉まれた一人。高津はホワイトソックスでもクローザーを任され、19セーブを挙げたが、メジャー初対戦の相手は、他ならぬ松井だった。

「2年目途中に戦力外となってメッツとマイナー契約を結んだので、実質的に活躍したのは渡米1年目の04年のみですが、彼のような変則サイドスローは、向こうではレアな存在。100キロにも満たない通称“フリスビー”カーブで屈強な打者を手玉に取る様は、鮮烈な印象を与えました」(前出のMLB担当記者)

 実際、ヤクルトの日本一に際しては、ホワイトソックスも、球団公式ツイッターを通じて祝福。当時を記憶するファンからも、大きな反響が寄せられた。

「球団にとっては彼が初の日本人選手だったこともあり、“ミスター・ゼロ”と呼ばれた、その活躍が、とりわけ記憶に残っているんでしょう。登板時には、アジア人だからか、登場曲代わりに銅鑼が鳴ってたのも特徴的。00年代と言えど、当時はまだ、そんな感じだったんです(笑)」(前同)

 なお、高津と入れ替わる格好でホワイトソックスでは、メッツ・松井稼頭央に次ぐ日本人2人目の内野手として井口資仁が台頭。ワールドシリーズを制した当時のオジー・ギーエン監督をして、「今年のMVPは井口」とも言わしめた。

「06年4月15日のブルージェイズ戦9回裏。投手の頭を越えたゴロを地面スレスレからダイビングスローでアウトにした彼の神業的な守備は、今も現地でビッグプレーとして語り継がれています。21年シーズンに、彼が監督のロッテ・エチェバリアが美技を披露した際も、一部で引き合いに出されていましたね」(福島氏)

 05年の井口に続いて、翌年、カージナルス在籍5年目にしてワールドシリーズを制覇して“優勝の瞬間、グラウンドにいた初の日本人選手”ともなった田口壮も、忘れ難い名選手だ。

「2勝1敗、負ければタイに持ち込まれるタイガースとの同シリーズ第4戦。1点ビハインドの7回裏に、無死二塁から絶対に失敗のできない送りバントを見事に決めたのが田口でした。その後、相手のエラーを誘って出塁した彼は、逆転のホームを自ら踏んで勝利をグイと引き寄せた。脇役に徹した彼の献身も、実に日本人らしい、いぶし銀のプレーでした」(前同)

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