■外野にヘリコプターが着陸して中から監督が!

 “主役は監督ではなく選手”とは、篤実な王氏らしい指摘だが、これができないのが歴代のスター監督。“400勝投手”こと金田正一氏も、その一人だという。

「1972年のシーズンオフに突如、ロッテの指揮官に就任。その後は昨今のビッグボスのように、球界話題を独占し続けたんです」(スポーツ紙記者OB)

 監督就任時、引退後に始めたタレント業が忙しかったという金田監督。その初登場は、球史に残る伝説となっている。ロッテOBで解説者の有藤通世氏は、こう述懐する。

「金田さんと初めて会ったのは秋季練習中で、埼玉の球場だったんですが、外野にヘリコプターが着陸して、中から金田さんが登場したんですよ。最近、派手な新庄くんが話題になっているけど、ヘリで降りてくるんだから、金田さんのほうが一枚上かも(笑)」

 そんな金田監督の本性は、“鬼”だったという。

「“野球は理屈ではない。体で覚えるものだ”が、カネやんの自論ですからね。キャンプ初日から自らバットを持ち、“試合じゃ、もっと強い打球が来るんや”とノックの嵐。最低ノルマは1人100本。壮絶な練習でしたね」(前出のスポーツ紙記者OB)

 地獄のしごきを体験した有藤氏も、「とにかく、頭から湯気が出るほど走らされた。オープン戦でも本拠地チームより早く集合させられて、走らされましたね。ペナント前半戦が終わる頃まで、キャンプの疲れが残っている感覚でした」

 猛特訓のかいあってか、金田監督就任2年でロッテは日本一に輝いている。

 “野武士軍団”と呼ばれた西鉄のキャンプもすごかった。56年から3年連続日本一に輝いた西鉄は、長崎県の島原温泉で春季キャンプを張っていた。

 このとき、記者の間で話題になったのが、西鉄名物“魔法のランニング”だ。

「町内を1周するんですけど、スタート時点には若手しかいない。それが、温泉街を走るうちに各旅館から、一人、また一人と主力選手が飛び出してきて、ランニングに合流するんです(笑)。みんな、ねんごろになった水商売の女性らと一夜を供にしていたわけです」(前出の記者OB)

 中でも主砲の大下弘はモテモテで、「毎日違う旅館から出てきた」(前同)とか。

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