■食卓の“やかん”にこっそりビールを!?

 故・野村克也氏が選手兼任監督を務めた頃の南海も、豪快だ。江本氏が振り返る。

「当時のキャンプは、高知県の黒潮町にある大方球場って所でした。何もない場所だったから、選手も無防備だし、気楽でね。松林から海岸までは、間にラッキョウ畑があるぐらいだから、風呂の後、畑の肥やしの匂いを嗅ぎながら、みんな、虫干しのように外で寝っ転がっていたね(笑)」

 しかし、数年後にキャンプ地は和歌山県の田辺市に変わったという。

「当時、ノムさんはサッチー(沙知代夫人)といい仲になっていて、練習後は温泉地で有名な南紀白浜の高級ホテルに移動していた。今思うと、サッチーのためにキャンプ地を変えたのかも(笑)」(前同)

 野村監督と並び、名将の誉れ高い広岡達朗氏が、低迷する西武の指揮官に就任したのは82年のこと。

「広岡さんの指導は厳しく、キャンプでは完璧に選手の食事を管理。食卓には玄米や豆乳、鶏肉など健康食が並び、酒は厳禁でした」(当時を知る球界関係者)

 さらに、“管理野球の第一人者”とされる広岡氏は、チームの意識改革をするため、主砲だった田淵幸一を生贄に決めた。

「田淵だけ優遇されていた練習メニューは廃止。事あるごとに口うるさく注意していました。要するに、“スター選手も分け隔てしない”というパフォーマンスだったんです」(前同)

 しかし、そこは敵もさるもの。禁酒のルールに我慢ならなかった田淵と東尾修は、一計を案じる。

「食卓に置かれるお茶が入っているやかんに、こっそりビールを入れたんです。それを湯呑みに入れて飲んでいたんだとか」(同)

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