■トリビア5
かつて4文字の元号があった

 元号といえば「昭和」「平成」など漢字二文字が当たり前のように感じるが、実は昭和以前には文字数の規定はなかった(現在は“漢字二文字”に規定)。実際に奈良時代には“漢字四文字”の元号が存在している。「天平感宝(」749年)「、天平勝宝(」749~757年)、「天平宝字」(757~765年)、「天平神護」(765~767年)、「神護景雲」(767~770年)の5つで749~770年に集中している。

■トリビア6
元号制度が定着したのは「大宝」から

「大宝」(701年)という元号で思い出すのは「大宝律令」。日本初の本格的な法令制度と言われる大宝律令の中に「公文書には元号を入れる」と記されたことで実質的に日本の元号制度が正式にスタートした。ちなみにこの大宝律令で初めて明記されたのが「国号を“日本”とする」。元号制の始まりと共に“日本”も始まったのだ。

■トリビア7
ガセネタ”で付けられた元号がある

 701年、「対馬から金が献上された」という吉報が朝廷に届いた。それまで日本での金の産出例はなく、中国や朝鮮半島からの輸入に頼っていた。それが日本の対馬で金が採れたというのだからめでたい。早速改元しようとなって付けられたのが文字通り「大宝」(701~704年)。ところがこれ、まったくの嘘。この金は朝鮮半島の金を“対馬産”だと偽って、精錬業者と地元民が共謀して献上したものだと後に判明。つまりガセネタがきっかけで付けられた元号。“大宝”とは無念だったというわけ。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 7