時代を味方につけた「朋ちゃん」

 一方「朋ちゃん」の愛称で親しまれた華原朋美は、素の部分でのアイドル性にも恵まれていた。その点は、小室哲哉がプロデュースした歌手たちのなかでも異色であり、たとえば安室奈美恵とも違っていた。豊かな声量で歌い上げる歌の魅力とちょっと天然で場を明るくする素の魅力のギャップが、いっそう彼女をアイドル歌手として魅力的に見せた。

 そんな華原朋美にとって時代が味方したのは、ちょうど音楽番組がトーク全盛時代を迎えていたことである。

 音楽番組は、ちょうど昭和から平成になる頃に『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)や『ザ・ベストテン』(TBS系)など長寿番組が相次いで終了し、一種の空白状態がしばらく続いていた。そこに1994年、ダウンタウンが司会を務める『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)(以下、『HEY!×3』と表記)がスタートする。司会と歌手のトークを目玉にする新しいスタイルの音楽番組である。

 昭和にもお笑い芸人が司会の音楽番組がなかったわけではない。ただその場合は、司会はあくまで脇役、歌の合間の軽い息抜きを提供するような役割だった。一方『HEY!×3』は、音楽番組でありながらもダウンタウンの番組と言ってよかった。

 たとえば、番組ではよくこんな場面があった。出演歌手がダウンタウンとのトークのときにわざとボケる。浜ちゃんは相手が歌手であるとかに関係なく「アホか」などと言いながらすかさず頭をはたく。するとその歌手は大喜びし、時にはガッツポーズまでする。浜ちゃんにツッコまれることが“勲章”になっていたのだ。

 トークの面白さによって人気に拍車がかかった出演者も多い。女性で言えば、PUFFYなどはその代表格だろう。二人は芸能人らしからぬ脱力ぶりをダウンタウンにいじられ、それが逆に魅力になった。彼女たちの冠バラエティ番組『パパパパPUFFY』(テレビ朝日系、1997年放送開始)は、『HEY!×3』でのトーク中にPUFFYの冠番組がもし始まったら、という架空の話の際に松ちゃんが思いつきで言ったタイトルをそのままいただいたものだった。

 そんなバラエティモードの番組で、華原朋美も輝いた。乗馬が得意という話題になり、その後本当に馬に乗ってスタジオに登場、さらにはエスカレートして象やラクダに乗って登場ということもあった。バラエティモードの音楽番組ならではの悪ノリ感あふれる演出だったが、まったく嫌がるそぶりも見せず「朋ちゃんスマイル」でいつもニコニコしているその姿からは、卓抜したアイドルとしての資質が感じられた。

 このように、華原朋美はトークメインの音楽番組の恩恵を受けた代表的存在だった。同じくトーク全盛時代の音楽番組を牽引した『うたばん』(TBS系、1996年放送開始)で司会の石橋貴明と中居正広によってモーニング娘。のキャラクターの面白さが引き出されたことはこの連載でも前に書いたが、華原朋美もまたこの時代を代表するアイドル歌手であったと言えるだろう。

平成アイドル水滸伝

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