そこには先ほどふれた「花の高3トリオ」の「卒業式」に重なるものがある。「清純派」の復権とも言われる乃木坂46については昭和のアイドルとの類似性が指摘されることも多いが、実はこんなところにも昭和的な匂いはある。

 だが根本的に違うところもある。それは、生駒里奈にとって乃木坂46が、現実の学校では決して得られなかった、そこしかない居場所であったことだ。同じことは、「学校そのものがあまり得意じゃない」と思い始めて小学校高学年から中学はほぼ行かなくなったとテレビ番組で語っていた齋藤飛鳥にも当てはまるだろう。

 なぜいまはソロアイドルではなくグループアイドルばかりなのか? アイドルファンなら一度は浮かんだことのある疑問だろう。それにはさまざまな答え方があるに違いない。だが生駒里奈や齋藤飛鳥のこうした言葉を聞くと、「グループは学校そのものだから」と答えたくなる。彼女たちにとってグループは居場所であり、そして“救い”なのだ。

※画像は乃木坂46の1stアルバム『透明な色』より

平成アイドル水滸伝

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