■アイドルはすべてを肯定する

『黒い羊』の「僕」と『君の名は希望』の「僕」。この二人は一見正反対だ。「悪目立ち」も辞さない自己主張の激しい「僕」と「透明人間」と呼ばれるほど目立たない「僕」。

 しかし、ある意味では二人はとても似ている。ともに世界から疎外されているという点において。だが実は、そのなかで自分という存在の拠って立つ場所を心底から探している点において。そして二人の「僕」は、それぞれの世界でその場所を見つける。

 そこからくみ取れること、それはアイドルとはすべてを肯定してくれる存在だということだ。

 ここまで繰り返し書いてきたように、平成という時代において私たちは多かれ少なかれ生きづらさを抱えるようになった。しかもそのような時代はいつ果てるともしれない。そのとき、生きづらい日常を早く終わらせたいと思うひともいれば、同じ日常のなかにささやかだが確かな幸福を見出し生き続けようとするひともいる。

 そのどちらの生きかたも否定されるべきではないことを、いまふれた欅坂46と乃木坂46の二つの曲は語りかけてくる。生きかたに格差はない。すべては肯定される。

 そのことを自らの身をもって示してくれる存在として、平成の日本はアイドルを発見した。歌手や俳優だけでなく、アナウンサーやスポーツ選手などいたるところにアイドルが誕生した平成とは、お気楽に見えて実はそんな切実な時代だったのではないだろうか。

 まもなく平成が終わり、新しい元号による時代が始まる。それで確かに気分は変わるかもしれない。そういう切り替えも大切なことだ。だがそれだけで生きづらい日常が消えてなくなるわけではないだろう。だとすれば、どんな人生も肯定されるものであることを教えてくれるアイドルは、これからも私たちの希望であり続けるに違いない。

※画像は欅坂46のシングル『黒い羊』(TYPE-A)より

平成アイドル水滸伝

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