「コミュ力」の時代とアイドル

 現在のAKB48グループの握手会の原型は、キングレコードに移籍後初のシングル『大声ダイヤモンド』からとされる。2008年10月の発売だった。そして2009年から選抜総選挙が始まり、2010年代以降大きく盛り上がりを見せるようになる。

 その同じ頃、世間ではネットスラングとして「コミュ障」という表現が広まり始めた。特に明確な病気ということではなく、ひとと話したりすることが苦手というようなひとを含んだ言葉である。昔なら「人見知り」として片づけられたかもしれない。そこを敢えて「コミュ障」と呼ぶ背景には、「コミュ力」、つまりコミュニケーション能力を過剰に重視する社会の空気があるだろう。

 結局「コミュ力」の時代は、いつもコミュニケーションがうまくいかないことに悩まされるやっかいな時代である。コミュニケーションが不足してもいけないし、過多でもいけない。しかしかと言って、わかりやすい目安があるわけではない。だから誰もがコミュニケーションという魔物に悩み続ける。

 AKB48グループは、そんな「コミュ力」の時代が生んだアイドルでもある。握手会、総選挙にも、そして最近ではネットの生配信にも「コミュ力」は必要だ。アイドルにとってもファンにとってもその点は変わらない。

 ただ、アイドルとファンが織り成す世界では、「コミュ力」が高ければいいというわけでもない。ぱるるの塩対応もそうだが、いまやAKB48グループのアイコン的存在でもある指原莉乃などはその好例だ。自身が語ったこともあるように、中学時代不登校で引きこもりになっていた時期に心の支えだったのがモー娘。をはじめとするハロプロアイドルだった。そして彼女は、ネットの掲示板にアイドルへの思いを書き連ねる一方、自分もアイドルを目指すようになる。

 つまり、コミュニケーションに悩む人間をそのまま受け入れてくれる世界、それがアイドルの世界だ。コミュニケーションがうまくいかないことに苦しむ人間にも必ず居場所はある。そのことを実感できる場こそが、握手会だと言えるだろう。そこでは、ライブでペンライトを振るときには秘められたものだった「私はここにいる」という思いをファンの誰もが受け入れてもらえる。そこには本来強者も弱者も、勝者も敗者もない。そんな世界が存在することをいまの時代における希望と言いたくなるのは私だけだろうか。

平成アイドル水滸伝

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