「目力」の時代

「目力」という言葉がある。いつの頃からか使われるようになった新しい言葉だ。そして乱暴を承知で言えば、それは宮崎あおいや広瀬すずのような21世紀の日本を生きる若き女優たちのために生まれてきた言葉ではないか、と思うときがある。

 『ちはやふる』の広瀬すずで最も印象に残るのは、試合中に千早の集中力が極限まで高まったことを表現する両目のアップだ。そのとき広瀬すずの目が発する真っ直ぐな強さは、まさに「目力」としか呼びようがないものだ。

 そして、『EUREKA』のラストシーンの宮崎あおいも忘れ難い。運転手として同じバスジャック事件を経験した沢井(役所広司)とともに山の上にやってきた梢は、バスジャックの犯人や自分自身も含めてこれまで関わってきた一人一人に対して「さよなら!」と叫びながら、海で拾った貝殻を投げ捨てていく。それは、彼女がこの映画のなかで初めて心の底から発した声だ。その様子を見届けた沢井は、「梢、帰ろう」と声をかける。振り向く梢のアップ。こちらを見据えるその目には、涙とともに、何とも言えない深さをたたえた表情が浮かんでいる。その「目力」もまた、彼女の再生への長い旅を見届けてきた私たちを魅了する。

 現代に残る数少ない暗闇のひとつ、それは映画館のなかだ。そこに一人座り、彼女たちの「目力」を受け止めるとき、私たちもまた一瞬ではあれ孤独からの“救い”を得る。それこそは、いまだ混迷する21世紀の日本において、私たちがアイドルという存在に求めるもののように思える。

平成アイドル水滸伝

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