■今泉作品独特のドラマ性と「個人PV」の役割のバランス

 一方、主人公の行動によって思いがけず気持ちを打ち明けられた姉もまた、目の前にいる相手の気持ちを察して言い当ててみせる。他者の気持ちを端的に言い当てるという、姉妹二人がそれぞれにとった行動はしかし、互いに対照的な意味を持つ。

 主人公である相楽が、他者の思いを成就させるために、自分の気持ちを押し殺して人知れず失恋していこうとするのに対し、姉は他者の気持ちも己の気持ちもこれ以上なく簡潔に説明し、三者の関係性をあっけらかんと開け広げてしまう。

 そして、一人淡々と決着して、早々に自分の世界へと戻っていく。あとに残された男性と相楽の二人は、水面下にそれぞれの思いを抱えたまま、宙吊りになって放り出される。

 ともすれば、二人にとって仕切り直しのスタートになるかもしれないこの瞬間だが、新たな関係に踏み出そうとするにはあまりに不格好で気まずい。けれども、その距離感は観る者にとって、この上なく微笑ましく愛おしい。今泉力哉作品の真骨頂といえる関係性の妙が、この4分半ほどの掌篇には軽やかに、しかし色濃く封じ込められている。

 そしてまた、ラストシーンの相楽のソロカットは、あくまで演者としての彼女個人の魅力を引き立てるような後味を保ってもいる。この企画において誰が絶対的な主役であるのか、この最終カットは雄弁に物語る。「映画館バイトの恋」は今泉作品独特のドラマと、乃木坂46メンバーの「個人PV」としての役割がバランス良く配分された一篇である。

乃木坂46「個人PVという実験場」

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