■「アイドルになる/である」とはどういうことか

「誰がために」のラストシーン、アイドルを目指していた主人公が、まさにアイドルになった瞬間を描いたこのカットで着用しているのは、乃木坂46のデビューシングル『ぐるぐるカーテン』の制服衣装である。

 すなわち、彼女が現実世界で「アイドル」としてデビューした時点の記憶を重ね合わせるものになっている。さらにいえば、2012年の『ぐるぐるカーテン』リリースの際に制作された、高山にとって初めての個人PVもまた、高山自身の「アイドルになる」ことへの思いをストレートに反映させた作品だった。

https://www.youtube.com/watch?v=mWirBq_j5kE
(※高山一実個人PV「進路指導」)

 市井昌秀が監督した個人PV「進路指導」の制作時、つまり実質的にまだデビューしていない時点で高山に充てられたのは、大人からの懐疑的な視線を受けながらも、むしろ強気にアイドルへの憧れを表明する人物像だった。

 その主人公は一風変わったきっかけから街中を疾走し、やがて彼女が目指すアイドルの“聖地”へと辿り着こうとする。のちに頃安が「誰がために」で回顧的な半フィクションとして描いたのはまさにデビュー直前期の高山の姿だったが、実際のデビュー直前期に撮られた個人PVでも、やはり高山は自らをモデルにした「アイドルに憧れる少女」を上演していたことになる。

 個人PV「進路指導」の時点では憧れる側の立場であった高山および乃木坂46は、やがて2010年代の女性アイドルシーンに確固たるポジションを手にし、今度は多くの人々にとっての憧憬の的として存在する。彼女たちが築いたブランドの強固さは、本連載で6月いっぱいをかけて言及してきた、3期メンバー主演個人PVの構造に如実にあらわれていた。

 とりわけ、個人PVというコンテンツの性格を前提にしながら、乃木坂46の新メンバーが「アイドルになる」瞬間を殊にメタ的に表現してみせたのは、他ならぬ頃安が監督した久保史緒里個人PV「個人PVについて私が知っている五、六の事柄」だった(この作品については6月9日更新分(/articles/-/80449)を参照されたい)。

 高山一実「誰がために」から伊藤万理華「20」、そして久保史緒里「個人PVについて私が知っている五、六の事柄」へと連なる流れは、「アイドルになる/である」人物を頃安祐良がいかなる遠近感で捉えようとしてきたかの歴史でもある。

乃木坂46「個人PVという実験場」

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